個人事業主として事業が順調に成長し、法人化を検討し始めたものの、本当に法人成りすべきか迷っていませんか?
実は「法人化」か「個人事業主のまま」かという二者択一だけでなく、「法人と個人事業主の両方を運営する」という第三の選択肢が存在します。
この方法は、法人と個人それぞれのメリットを組み合わせることで、節税効果やリスク分散を最大化できる、極めて有効な経営戦略です。
この記事では、所得分散による節税、消費税の免税事業者メリットの活用、社会保険料の最適化といった5つの大きなメリットを具体的に解説します。
もちろん、事務手続きの増加といったデメリットや税務上の注意点も隠さずお伝えし、どのような方がこの「二刀流」に向いているのか、そして実際に始めるための具体的な3ステップまで網羅的に解説します。
この記事を最後まで読めば、あなたの事業にとって最適な形を見極め、さらなる成長を加速させるための明確な知識と戦略を手に入れることができるでしょう。
なぜ今「法人と個人事業主の両方」という選択肢が注目されるのか
かつて、事業の成長ステップは「個人事業主として開業し、軌道に乗ったら法人化する」という一本道が一般的でした。
しかし、現代のビジネス環境は大きく変化し、個人事業主と法人を同時に運営するというハイブリッドな形態が、事業拡大や資産形成を目指す経営者にとって極めて有効な戦略として注目を集めています。
では、なぜ今、この選択肢がこれほどまでに重要視されるようになったのでしょうか。
その背景には、働き方の多様化、税制や社会保険制度の変化、そして事業を取り巻くリスクへの意識の高まりという、3つの大きな時代の潮流が存在します。
働き方の多様化と「マイクロ法人」の浸透
終身雇用が当たり前ではなくなり、フリーランスや副業といった多様な働き方が社会に浸透しました。
一つの組織に依存するのではなく、複数の収入源を持つことでキャリアの安定性を高めるという考え方が一般的になったのです。
このような流れの中で、「マイクロ法人」という概念が広く知られるようになりました。
マイクロ法人とは、社長一人、あるいは家族だけで経営する小規模な法人のことです。
特に、設立費用を抑えられる合同会社の制度が普及したことで、法人設立のハードルは劇的に下がりました。
これにより、例えばフリーランスとしてのメインの事業は個人事業主として継続しつつ、資産管理や別の小規模な事業を法人格で行う、といった柔軟な事業運営が容易になったのです。
変化する税制と社会保険制度への戦略的対応
近年の税制や社会保険制度の改正も、法人と個人事業主の両立という選択を後押ししています。
具体的には、以下の点が挙げられます。
- インボイス制度の導入: 2023年10月から開始されたインボイス制度により、消費税の納税に関する戦略がより重要になりました。例えば、一方は課税事業者としてインボイスを発行し、もう一方は免税事業者のままでいるなど、事業の特性に合わせて法人と個人を使い分けることで、消費税の負担を最適化するというアプローチが可能になります。
- 社会保険料の負担増への対策: 国民健康保険料や国民年金保険料は所得に応じて増加しますが、上限があります。一方、法人の役員として社会保険に加入する場合、役員報酬の額に応じて保険料が決まります。この仕組みを利用し、法人からの役員報酬を低めに設定して社会保険料を抑え、残りの収益は個人事業の所得として得ることで、トータルでの社会保険料負担を軽減するという考え方が広まっています。
- 所得税の累進課税対策: 個人事業主の所得税は、所得が増えるほど税率が高くなる「累進課税」です。所得が一定額を超えると、法人税率の方が低くなるケースが多くなります。そこで、法人を設立して所得を分散させることで、個人と法人を合算した際の実効税率を低く抑えることが可能になるのです。
事業ポートフォリオの重要性の高まり
VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代と言われる現代において、単一の事業に依存することは大きな経営リスクとなり得ます。
そこで注目されるのが、複数の事業を組み合わせる「事業ポートフォリオ」という考え方です。
法人と個人事業主を両方持つことは、この事業ポートフォリオを構築する上で非常に有効です。
例えば、以下のような戦略が考えられます。
| 事業体 | 役割 | 具体例 |
|---|---|---|
| 法人 | 安定収益・信用力担当 | BtoB向けのコンサルティング事業、不動産賃貸事業など、継続的で安定した収益が見込める事業。金融機関からの融資も受けやすい。 |
| 個人事業主 | 新規事業・柔軟性担当 | Webメディア運営、アフィリエイト、スポットのクリエイティブ制作など、フットワークの軽さが求められる事業や、先行投資の少ないスモールスタートが可能な事業。 |
このように、法人の持つ「社会的信用力」と個人事業主の持つ「意思決定の速さや柔軟性」という、それぞれの長所を最大限に活かすことで、事業全体のリスクを分散し、より強固な経営基盤を築くことができます。
これらの背景から、法人と個人事業主の両立は、もはや一部の富裕層だけが用いる特殊な節税テクニックではありません。
変化の激しい時代を生き抜き、事業を継続的に成長させていくための、全ての経営者が検討すべき「標準装備」とも言える経営戦略になりつつあるのです。
法人と個人事業主を両方持つ5つの大きなメリット

事業を運営する上で、法人と個人事業主のどちらか一方を選ぶのが一般的でした。
しかし、近年では戦略的に両方の形態を併用する経営者が増えています。
なぜなら、そこには片方だけでは得られない、事業成長を加速させる大きなメリットが存在するからです。
ここでは、法人と個人事業主を両方持つことで得られる5つの具体的なメリットを、詳しく解説していきます。
メリット1 節税効果を最大化できる所得分散
法人と個人事業主を両方持つ最大のメリットの一つが、所得を分散させることによる節税効果です。
所得税と法人税の税率構造の違いを理解することで、手元に残る資金を最大化できます。
個人事業主の所得にかかる「所得税」は、所得が増えれば増えるほど税率が高くなる「累進課税」が採用されています。
所得が一定額を超えると、住民税と合わせて最高で55%もの税率が課せられます。
一方、法人の利益にかかる「法人税」は、資本金1億円以下の中小企業の場合、税率がほぼ一定です。
この税率の違いを利用し、個人事業主として高い所得が見込まれる場合に、その一部を法人に移すことで、個人に適用される高い税率を回避し、トータルでの納税額を抑えることが可能になります。
例えば、個人事業の利益の一部を法人に移し、そこから自身へ役員報酬として支払うことで、給与所得控除などの控除も活用でき、さらなる節税につながります。
所得税と法人実効税率の比較(参考)
| 課税所得金額 | 所得税率(住民税約10%含まず) |
|---|---|
| 195万円以下 | 5% |
| 195万円超 330万円以下 | 10% |
| 330万円超 695万円以下 | 20% |
| 695万円超 900万円以下 | 23% |
| 900万円超 1,800万円以下 | 33% |
| 1,800万円超 4,000万円以下 | 40% |
| 4,000万円超 | 45% |
| 法人所得金額(中小法人) | 法人実効税率(目安) |
|---|---|
| 〜800万円 | 約25% |
| 800万円超 | 約34% |
このように、所得が900万円を超えると所得税率が法人実効税率を上回り始めます。
この分岐点を目安に、法人設立による所得分散を検討するのが賢明な戦略と言えるでしょう。
メリット2 消費税の免税事業者メリットを最大限活用
消費税の納税義務は、前々年の課税売上高が1,000万円を超えた場合に発生します。
この基準を利用し、法人と個人で事業を分けることで、消費税の免税期間を最大限に活用できる可能性があります。
例えば、個人事業主としての課税売上高が1,200万円になったとします。
この場合、2年後には消費税の課税事業者となり、消費税を納める義務が生じます。
しかし、ここで新たに法人を設立し、事業を分割して法人と個人のそれぞれの課税売上高を1,000万円以下に抑えることができれば、両方とも免税事業者のままでいられるのです。
さらに、新しく設立した法人は、原則として設立から最大2年間は消費税の納税が免除されます。
この制度をうまく活用することで、事業全体として消費税の負担を大幅に軽減できる期間が生まれます。
ただし、インボイス制度の導入により、取引先との関係上、免税事業者のままではビジネスに支障が出るケースもあります。
適格請求書発行事業者になるかどうかは、自社の状況に合わせて慎重に判断する必要があります。
メリット3 社会保険料の負担を最適化する仕組み
個人事業主が加入する国民健康保険料は、所得に応じて増加し、自治体によっては年間100万円を超えるなど、負担が非常に大きくなることがあります。
一方で、法人の役員として加入する社会保険(健康保険・厚生年金)の保険料は、役員報酬の金額(標準報酬月額)に基づいて決まります。
この仕組みを利用し、法人からの役員報酬を戦略的に設定することで、社会保険料の総額をコントロールできます。
例えば、法人から受け取る役員報酬を社会保険料が過度に高くならない金額に抑え、事業の利益の多くは個人事業の所得として受け取る、という方法です。
これにより、高所得の個人事業主が国民健康保険料だけで大きな負担を強いられる状況を回避し、事業全体のキャッシュフローを改善できます。
また、法人で厚生年金に加入することで、将来受け取れる年金額が国民年金のみの場合よりも手厚くなるというメリットも見逃せません。
ただし、役員報酬を極端に低くすると、将来の年金受給額が減るだけでなく、金融機関からの融資審査などで不利に働く可能性もあるため、バランスの取れた設定が重要です。
メリット4 事業リスクの分散と資産防衛
事業には常にリスクが伴います。
特に個人事業主は「無限責任」であり、事業上の負債は個人の全財産をもって返済する義務を負います。
万が一事業に失敗した場合、自宅などの個人資産まで失うリスクがあるのです。
一方、株式会社や合同会社といった法人は「有限責任」です。
経営者の責任は、原則として自身が出資した範囲内に限定されます。
この違いを活かし、リスクの高い新規事業や投資を伴う事業を法人で、安定的で堅実な事業を個人で運営することで、効果的なリスク分散が可能になります。
例えば、多額の借入を必要とする店舗展開や開発事業は法人で行い、失敗した場合のリスクを法人内に封じ込めます。
そして、コンサルティングやデザイン業務など、比較的リスクの低い事業は個人事業として継続することで、安定した収入源を確保し、個人の資産を守ることができます。
これは、攻めの事業と守りの事業を明確に分け、経営の安定性を高めるための重要な資産防衛戦略と言えるでしょう。
メリット5 法人の信用力と個人事業の柔軟性を両立
法人と個人事業主には、それぞれ異なる強みがあります。
両方の形態を持つことで、それぞれの「良いとこ取り」をし、事業機会を最大化することができます。
法人は、個人事業主と比較して社会的信用度が高いと見なされる傾向があります。
これにより、以下のようなメリットが生まれます。
- 金融機関からの融資が受けやすくなる
- 大企業との取引口座を開設しやすくなる(法人格が取引条件の場合も多い)
- 優秀な人材を採用する際に有利に働くことがある
一方で、個人事業主には法人にはない柔軟性と機動力があります。
- 事業で得た利益の使い道が比較的自由
- 法人に比べて会計処理や事務手続きが簡素
- 事業の方向転換や撤退の意思決定が迅速に行える
この両方のメリットを活かし、例えば、大規模なBtoB取引や公的機関との契約は信用力の高い法人で、スピーディーな展開が求められる小規模なBtoCサービスや試験的なプロジェクトは柔軟性の高い個人事業で、といった戦略的な使い分けが可能です。
事業の性質やフェーズに応じて最適な「顔」を使い分けることで、ビジネスチャンスを逃すことなく、着実な成長を目指せます。
デメリットも理解しよう 法人と個人事業主を両方持つ際の注意点

法人と個人事業主の両方を運営することは、節税やリスク分散など多くのメリットをもたらす可能性がある一方で、看過できないデメリットや注意点も存在します。
メリットだけに目を向けて安易に始めてしまうと、かえって手間やコストが増大し、期待した効果が得られないことも少なくありません。
ここでは、両立を成功させるために必ず理解しておくべき3つの重要な注意点を詳しく解説します。
事務手続きの煩雑化とコストの増加
最も直接的で実感しやすいデメリットが、経理や税務に関する事務負担の増加です。
個人事業主としての確定申告に加えて、法人としての決算申告も必要となり、経理・事務負担が単純に2倍以上になると考えなければなりません。
それぞれの事業で会計帳簿を明確に分けて管理する必要があり、資金の移動にも細心の注意が求められます。
また、金銭的なコストの増加も避けられません。法人の設立には登記費用などの初期費用がかかるほか、事業を維持していくためのランニングコストも発生します。
特に、税理士に経理や申告を依頼する場合、個人と法人の両方の契約が必要となり、顧問料もその分増加します。
| 費用の種類 | 株式会社の目安 | 合同会社の目安 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 設立費用(法定費用) | 約20万円~ | 約6万円~ | 定款認証手数料(株式会社のみ)、登録免許税など。 電子定款を利用すると印紙代4万円が不要になります。 |
| 維持費用(年間) | 最低7万円~ | 最低7万円~ | 赤字でも発生する法人住民税均等割の最低額です。 自治体や資本金の額によって変動します。 |
| 税理士顧問料(年間) | 約30万円~ | 約20万円~ | 記帳代行や決算申告料を含む一般的な相場。 事業規模や依頼内容によって大きく異なります。 |
法人と個人の取引における税務上の論点
法人と個人事業主の両方を運営していると、法人から個人へ業務を発注したり、個人が所有する不動産を法人に貸したりといった取引が発生することがあります。
このような「自分自身との取引」は、税務上、非常に厳しく見られるため、特別な注意が必要です。
特に問題となりやすいのが、取引価格の設定です。
例えば、法人が個人に対して相場よりも著しく高い外注費を支払った場合、その差額分は役員賞与や寄附金とみなされ、法人の経費(損金)として認められない「寄附金認定リスク」があります。
逆に、相場より安すぎる価格で取引すると、個人側で経済的利益を受けたと判断され、思わぬ課税が生じる可能性もあります。
さらに、法人の代表取締役が個人として法人と取引を行うことは、会社法で定められた「利益相反取引」に該当する可能性があります。
この場合、原則として株主総会での承認が必要となり、手続きを怠ると取引が無効になるリスクも伴います。
法人と個人の間の資金移動や取引は、税務調査で厳しくチェックされるポイントであると常に意識し、取引の必要性や価格の妥当性を客観的に説明できる証拠(契約書や相見積もりなど)を必ず残しておくことが重要です。
赤字の場合でも発生する法人住民税
個人事業主の場合、事業が赤字であれば所得税や住民税の負担は基本的に発生しません。
しかし、法人はたとえ事業年度が赤字であったとしても、納税義務がゼロになるわけではないという大きな違いがあります。
法人にかかる税金の一つである「法人住民税」は、利益に応じて課税される「法人税割」と、会社の規模(資本金や従業員数)に応じて定額で課税される「均等割」の2つで構成されています。
このうち「均等割」は、法人が存在しているだけで支払う義務が生じる税金であり、赤字・黒字に関わらず毎年必ず発生します。
例えば、東京都23区内に事務所を置く資本金1,000万円以下、従業員50人以下の法人であれば、最低でも年間7万円の法人住民税(均等割)を納めなければなりません。
事業が軌道に乗るまでの期間や、売上が不安定な時期には、この固定費が経営の重荷になる可能性も十分に考えられます。
法人を設立するということは、こうした継続的なコスト負担を受け入れることでもあるのです。
どんな人におすすめ?法人と個人事業主の両立が向いているケース

法人と個人事業主の両方を運営するという選択は、強力な事業戦略となり得ますが、すべての人にとって最適なわけではありません。
特定の目標や状況にある方にとっては、そのメリットを最大限に引き出すことが可能です。
ここでは、具体的にどのような方がこの「二刀流」のスタイルに向いているのか、3つの代表的なケースを詳しく解説します。
複数の異なる事業を展開したい方
性質の異なる複数のビジネスを手がけたい、あるいは将来的に多角化を目指している方にとって、法人と個人事業主の併用は非常に有効な手段です。
事業ごとに最適な器を選ぶことで、リスク管理と運営効率を格段に向上させることができます。
例えば、以下のようなケースが考えられます。
- BtoB事業とBtoC事業を分けたいケース: 企業間取引がメインで大きな契約や信用力が求められるWeb制作事業は「法人」で運営し、個人のスキルを活かしたオンライン講座や小規模な物販は「個人事業主」としてフットワーク軽く展開する。
- リスクの高い新規事業と安定した既存事業を分けたいケース: 安定した収益が見込めるコンサルティング事業を「法人」の収益基盤とし、先行投資が必要で成功が不透明なアプリ開発事業を「個人事業主」としてスモールスタートさせる。これにより、万が一新規事業が失敗しても、法人本体へのダメージを最小限に抑えることができます。
- 許認可や管理の都合で分けたいケース: 建設業や古物商など、特定の許認可が必要な事業を「法人」で取得・管理し、それとは全く関連のないアフィリエイトやライティング業務を「個人事業主」で行う。これにより、事業ごとの会計や法務管理が明確になります。
このように事業の特性に応じて法人と個人を使い分けることで、それぞれのメリットを活かしながら、事業ポートフォリオ全体のリスクを効果的に分散させることが可能になります。
節税を戦略的に行いたい高所得の個人事業主
個人事業主として事業が順調に成長し、所得が増えてきた方にとって、法人との両立は最も効果的な節税戦略の一つとなり得ます。
日本の所得税は、所得が増えるほど税率が高くなる「累進課税」が採用されていますが、法人税は一定の税率です。
この税率構造の違いを利用して、所得を分散させることが節税の鍵となります。
具体的には、課税所得が800万円〜1,000万円を超えてくると、法人を設立して所得を分散させた方がトータルの税負担を抑えられるケースが多くなります。
法人と個人事業主を両立した場合の所得分散のイメージは以下の通りです。
| 項目 | 個人事業主のみの場合 | 法人と個人事業主を両立した場合 |
|---|---|---|
| 事業全体の利益 | 例:1,500万円 | 例:1,500万円 |
| 所得の帰属先 | すべて個人の事業所得 | 法人から役員報酬(給与所得):800万円 個人事業主の事業所得:300万円 法人の利益:400万円 |
| 適用される税率 | 高い所得税率(累進課税)が全体に適用される | 給与所得:所得税(給与所得控除あり) 事業所得:所得税 法人の利益:法人税 |
| メリット | 会計処理がシンプル | 所得が分散され、高い累進課税率の適用を回避できるため、手元に残るキャッシュが増える可能性が高い |
法人を設立すると、自分自身に「役員報酬」を支払うことができます。
この役員報酬は給与所得となるため、経費として認められる「給与所得控除」が適用されます。
これは、実際の経費がかかっていなくても一定額を所得から差し引ける強力な控除です。
さらに、法人から個人事業主である自分に対して、適切な価格で業務委託費を支払うといった方法で、所得をコントロールすることも可能になります。
ただし、これらの取引は実態が伴っている必要があり、税務調査で指摘されないよう専門家と相談しながら慎重に進めることが重要です。
将来的な事業売却や承継を視野に入れている方
事業の出口戦略として、M&A(事業売却)や親族への事業承継を考えている場合、法人と個人事業主の両立は非常に有効な布石となります。
事業を法人という「箱」に入れておくことで、売却や承継の手続きが格段にスムーズになります。
事業売却(M&A)を検討している場合
個人事業のまま事業を売却する場合、「事業譲渡」という形になり、売却する資産(在庫、設備、顧客リスト、ブランドなど)を一つひとつ個別に移転させる必要があり、手続きが非常に煩雑です。
一方、売却したい事業を法人化しておけば、「株式譲渡」という形で会社の所有権ごと売却できます。
これにより、買い手側も手続きが容易になり、交渉がスムーズに進みやすくなるという大きなメリットがあります。
例えば、将来的に成長が見込めるECサイト事業を株式会社として運営し、自分のライフワークであるコンサルティング業務は個人事業主として続ける、といったすみ分けが可能です。
これにより、売りたい事業だけを切り出して、クリーンな状態で売却交渉に臨むことができます。
事業承継を計画している場合
後継者に事業を引き継がせたい場合も同様です。承継させたい主力事業を法人化しておくことで、株式の贈与や相続によって円滑に経営権を移転させることができます。
自分がリタイア後も続けたい小規模な事業や、個人の不動産賃貸業などは個人事業主として手元に残すことで、承継する事業と個人の資産を明確に分離し、次世代が経営に集中できる環境を整えることができます。
これにより、相続時のトラブルを未然に防ぐ効果も期待できます。
実践編 法人と個人事業主の両方を始めるための3ステップ

法人と個人事業主の両方を所有するメリットとデメリットを理解した上で、いよいよ実践です。
ここでは、具体的にどのような手順で進めていけばよいのか、成功に不可欠な3つのステップに分けて詳しく解説します。
思いつきで進めてしまうと、後から修正が困難になったり、税務上のリスクを抱えたりすることになりかねません。
計画的に、そして慎重に準備を進めましょう。
ステップ1 事業のすみ分けを明確にする
法人と個人事業主の両方を持つ上で、最も重要かつ最初のステップが「事業のすみ分け」です。
なぜなら、このすみ分けが曖昧だと、税務調査で所得の意図的な操作(利益調整)を疑われる原因となり、追徴課税などのペナルティを受けるリスクが高まるからです。
また、経営管理の観点からも、どちらの事業がどれだけ利益を上げているのかが不明確になり、的確な経営判断が難しくなります。
すみ分けを行う際は、誰が見ても納得できる客観的かつ合理的な基準を設けることが肝心です。
以下に代表的なすみ分けの基準を挙げます。
- 事業内容で分ける
最もシンプルで分かりやすい方法です。例えば、「Webサイト制作事業は法人、ライティングやコンサルティング事業は個人事業主」のように、提供するサービスや商品の種類によって明確に区分します。 - 取引先で分ける
「継続的で大口の取引は信用力の高い法人、単発で小規模なスポット案件は柔軟に対応できる個人事業主」といった分け方です。これにより、請求書や契約書の発行元が明確になり、経理処理もスムーズになります。 - 収益モデルで分ける
「安定した収益が見込めるストック型の事業(月額課金サービスなど)は法人、収益の変動が大きいフロー型の事業(単発のプロジェクトなど)は個人事業主」という方法です。事業リスクの分散にも繋がります。
どの基準で分けるにせよ、一度決めたルールは安易に変更せず、一貫性を保つことが重要です。
また、事務所の家賃や光熱費、通信費など、法人と個人で共通して発生する経費については、事業の実態に合わせて合理的な基準(例:事業ごとの売上比や作業時間比など)で按分するルールを事前に決めておきましょう。
ステップ2 法人設立の手続き(合同会社か株式会社か)
事業のすみ分け方針が固まったら、次に法人を設立します。主な選択肢として「株式会社」と「合同会社」がありますが、それぞれに特徴があります。
ご自身の事業規模や将来の展望に合わせて、最適な形態を選択しましょう。
両者の主な違いを以下の表にまとめました。
| 項目 | 株式会社 | 合同会社 |
|---|---|---|
| 社会的信用度 | 高い。BtoB取引や金融機関からの融資、人材採用において有利になる傾向がある。 | 株式会社に比べると低いと見られる場合があるが、近年は認知度が向上している。 |
| 設立費用(法定費用) | 約20万円~(定款認証手数料、登録免許税など) | 約6万円~(登録免許税のみ。定款認証は不要) |
| 意思決定 | 株主総会での決議が必要。所有(株主)と経営(取締役)が分離している。 | 原則として出資者(社員)全員の同意が必要。所有と経営が一致しており、迅速な意思決定が可能。 |
| 利益の配分 | 出資比率(株式の保有割合)に応じて配当。 | 定款で自由に決めることができる。出資比率に関わらず、貢献度に応じた配分も可能。 |
| 役員の任期 | 原則2年(最長10年まで伸長可能)。任期ごとに登記変更が必要。 | 任期はない。登記変更の手間とコストがかからない。 |
将来的に外部からの資金調達(出資)や上場(IPO)を視野に入れている場合、あるいは取引先や顧客からの信用を特に重視する場合は「株式会社」が適しています。
一方で、設立・運営コストを抑え、経営の自由度と機動性を重視したい場合は「合同会社」が有力な選択肢となるでしょう。
どちらの形態にするか決めたら、以下の流れで設立手続きを進めます。
法人設立の基本フロー
- 基本事項の決定:商号(会社名)、本店所在地、事業目的、資本金の額、役員構成などを決定します。
- 定款の作成・認証:会社のルールを定めた定款を作成します。株式会社の場合は、公証役場で定款の認証を受ける必要があります。
- 資本金の払込み:発起人(出資者)個人の銀行口座に資本金を払い込み、その証明書(通帳のコピーなど)を用意します。
- 登記申請書類の作成:設立登記申請書や役員の就任承諾書など、法務局へ提出する書類一式を作成します。
- 法務局への登記申請:本店所在地を管轄する法務局に登記申請を行います。この申請日が会社の設立日となります。
これらの手続きは自分で行うことも可能ですが、時間と手間がかかるため、後述する司法書士などの専門家に依頼するのが一般的です。
ステップ3 税理士など専門家への相談
法人と個人事業主の両方を運営するスキームは、税務や法務の面で非常に複雑になります。
そのため、自己判断で進めるのではなく、必ず専門家のサポートを受けるようにしましょう。
特に税理士は、このスキームを成功させるための最も重要なパートナーとなります。
相談すべきタイミングは、「法人を設立する前」、つまりステップ1の「事業のすみ分けを考える段階」から関わってもらうのが理想です。
事前の計画段階から税理士に相談することで、以下のようなメリットが得られます。
- 最適な事業のすみ分け方を提案してもらえる:税務上のリスクを最小限に抑え、かつ節税効果を最大化できるような事業の分け方について、専門的な視点からアドバイスを受けられます。
- 適切な役員報酬額を設定できる:法人と個人の所得バランスを考慮し、社会保険料の負担なども含めたトータルで手残りが最も多くなるような役員報酬のシミュレーションをしてもらえます。
- 法人と個人の取引に関する注意点を教えてもらえる:法人から個人へ業務を委託する場合の価格設定など、税務調査で指摘されやすいポイントについて、事前にリスクヘッジができます。
- 各種手続きをスムーズに進められる:法人設立後の税務署への届出や、日々の経理処理、決算申告まで、煩雑な手続きを安心して任せることができます。
税理士の他にも、法人設立の登記手続きは「司法書士」、許認可が必要な事業であれば「行政書士」が専門家となります。
まずは信頼できる税理士を見つけ、必要に応じて他の専門家を紹介してもらうとスムーズです。
顧問契約を結ぶことで、継続的に経営や節税に関する相談ができ、事業成長の強力な支えとなるでしょう。
まとめ
本記事では、法人と個人事業主の両方を設立・運営することのメリットやデメリット、そして成功させるための具体的なステップについて解説しました。
この事業形態は、単に事業を二つ持つということ以上の戦略的な価値を持っています。
最大のメリットは、所得を法人と個人に分散させることによる「節税効果の最大化」です。
これに加えて、消費税の免税事業者メリットの活用や社会保険料負担の最適化など、経済的な恩恵は多岐にわたります。
また、事業リスクを分散し、法人が持つ社会的な信用力と個人事業主ならではの機動性や柔軟性を両立できる点も、事業の成長と安定に大きく貢献するでしょう。
一方で、二つの事業体を管理することによる事務手続きの煩雑化や、法人住民税の均等割といったコスト増は無視できないデメリットです。
これらの課題を乗り越え、メリットを最大限に享受するためには、事業内容の明確なすみ分けと、税理士をはじめとする専門家のサポートが不可欠となります。
法人と個人事業主の両立は、複数の異なる事業を展開したい方や、より高度な節税対策を求める高所得の個人事業主にとって、事業拡大と資産形成を加速させる強力な選択肢となり得ます。
ご自身の事業の現状と将来のビジョンを踏まえ、この新しい事業形態の導入を検討してみてはいかがでしょうか。
